英国の活動家シンガーソングライター、ビリー・ブラッグ/Billy Bragg はデビューした1980年代から今まで一貫してプロテストソングを歌い続けているが、今、パレスチナのガザ地区で行われているイスラエルによる大量虐殺についても声を上げた。
イスラエルの非人道的な行為に抗議する歌はユーチューブ上などSNSを通してインディーズ系の歌手が歌って拡散されていたが、このような英語圏の有名スターはビリー・ブラッグ/Billy Bragg 以外はまだ聞いていない。
パレスチナを仕切る「テロ集団」ハマスが行ったイスラエル人の虐殺、拉致に対する反撃としてイスラエルが始めたガザ地区への攻撃は大勢の罪のない大人はもちろん、子供たちの命まで奪っている。人道的に許せないのはガザ地区の飢餓を解決しようと物資を運ぶ世界の支援団体をイスラエルが阻んでいることだ。
しかし、イスラエルは長い歴史を通してパレスチナに入植し、勝手に建国し、徐々に支配を強化して「イスラエル国土」を広げてパレスチナ人たちをガザ地区とヨルダン川西岸地区に追いやって来た歴史がある。ハマスの攻撃はその長い攻防の中のパレスチナの抵抗の一つの事件に過ぎないのだ。
この曲もタイトルを見ればわかるように、今問題になっているガザ地区の虐殺に留まらず、100年前からの長い歴史をテーマとして歌われている。出だしに登場するオリーブは平和の象徴であり、またパレスチナで有名な農産物の一つでもある。
最後の節ではイスラエルの蛮行を放置している世界に向けた抗議のメッセージを送っている。
歌詞の繰り返しの部分にはアラビア語が登場する。Sumud! Sumud! Lan narhal とあるが、「Sumud(スムード)」はアラビア語で「粘り強い抵抗・不屈の精神」を意味し、「Lan
narhal(ラン・ナルハル)」は「私たちは去らない」「立ち退かない」という意味である。
Hundred Year Hunger
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作:Billy Bragg These olive groves have roots so deep Seventy centuries and more They fed the fellahin who sought Peace beneath their shade My father's father worked this land Before the time the lines were drawn And distant declarations made That brought darkness at dawn And hunger And suffering And slaughter And dread ![]() Existence is resistance Sumud! Sumud! Lan narhal We will not leave this land (REPEAT) My mother was a refugee Settlers came and burned the fields Until no longer could she Feed her family We lived for decades in a camp A narrow strip along the coast Where desperation filled the days And hunger haunted every home And thirst And malady And misery And tears REPEAT ![]() And now my children ask me why The watching world is standing by While Israel creates famine as A weapon in their war Food is used to bait a trap Unarmed, the starving stumble in Desperately hoping to find aid But all that they receive Are bullet wounds And tank fire Infanticide And dust REPEAT ![]() |
訳詩: 管理人 これらのオリーブの木立には 七十世紀を超えるほどの 深い根が張っている 木陰で平和を求めた 農民達を養ってきた 私の父の父も この土地で働いた 境界線が引かれるよりも前に 遠くからの宣言がなされ 夜明けに闇をもたらす前に そして 飢え そして 苦しみ そして 虐殺 そして 恐怖 ![]() 住み続けることが抵抗だ 不屈の抵抗、立ち退かないぞ 私たちはこの土地を離れない (くりかえし) 私の母は難民だった 入植者たちがやって来て畑を焼き払い 母はもはや家族を 養うことはできなくなった 私たちは何十年もキャンプで暮らした 海岸に沿った細長い地帯で 絶望が日々を覆い 飢えがすべての家をつきまとった そして のどの渇き そして 病苦 そして 惨めさ そして 涙 ![]() そして今、私の子どもたちが私に問う なぜ見ている世界はただ傍観しているのかと イスラエルが飢餓を 戦争の武器として生み出している間に 食べ物は罠の餌にされ 丸腰の飢えた者たちはつまずきながら入ってゆく 必死に援助を求めて しかし彼らが受け取るものは 銃弾の傷 戦車の砲火 幼子の虐殺 そして塵 ![]() |