1930年代後半、日本による朝鮮半島の植民地支配が続く中、第二次世界大戦が激化すると、日本国内では石炭・金・銀・銅などの地下資源を掘り出す労働力が深刻に不足した。その穴を埋めるために、多くの朝鮮半島の若者たちが強制的に日本へ連行され、全国の炭鉱や鉱山で過酷な労働に従事させられた。筑豊炭田(福岡県)はその中でも最大規模の炭鉱地帯である。
朴保がこの地を訪れたことをきっかけに生まれたのが、2004年発表の「筑豊アリラン」である。彼は筑豊の炭鉱で亡くなった朝鮮人労働者の墓を訪れたが、そこにあったのは「ボタ石」──石が混ざって使い物にならない石炭の残滓──が置かれただけの粗末な印だった。一方で、近くには犬や猫のためのきちんとした墓があり、近くには日本軍属の立派な墓地もあった。この対比が、彼の胸に深い衝撃を残した。
連れてこられた労働者たちは、逃げれば捕まり、リンチを受けるなど、苛酷な環境に置かれていた。今日でも「強制連行ではなかった」と主張する声があるが、仮に自ら望んで来た者がいたとしても、日本人よりはるかに厳しい条件下で差別的な扱いを受けていたことは否定できない。
歌の中で繰り返される「あの生まれ育った山や河に もう一度だけ会いたかっただろう」 というフレーズは、故郷に帰ることも叶わず命を落とした若者たち──中には高校生ほどの少年もいたであろう──の無念を想起させ、胸を締めつける。
「筑豊アリラン」は、在日コリアンの歴史を刻むアリランとして評価され、現在は韓国のアリラン博物館にも収蔵されている。
ライブハウスでの演奏(歌詞表示)
筑豊アリラン |
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作詞・作曲 朴保 ボタ山に眠るしかばね 春の海越えてやってきた 強制連行徴用 皇民と 玄海灘を越えてきた あの生まれ育った山や河に もう一度だけ会いたかっただろう 地底深く眠るアリラン峠 어미니 보고싶어요 (オモニポゴシッポヨ) アリラン峠 お母さん、会いたいよ 今やさしく風が流れる 人の生き血を吸って枯れた山に 遠き古里の歌がきこえる 草花や土のかおり運んでる 誇り高きアボジオモニ 先祖達が生きつづけてくれた 今筑豊に青山と花 ムクゲの花を咲かさん あの生まれ育った山や河に もう一度だけ会いたかっただろう 地底深く眠るアリラン峠 어미니 보고싶어요 (オモニポゴシッポヨ) アリラン峠 |
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| ギター弾き語りライブ。 朴保の他の詩 Constituttion No.9(憲法九条) 一枚のビラ ヤンバルの風 今こそ流れを変える時 S.O.S. MONJU HIROSHIMA 朴保オフィシャルサイト |
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