プロテストソング・トピカルソングの傑作集WE SHALL OVERCOME
1923年福田村の虐殺
中川五郎


中川五郎
が2017年に発表した2枚組アルバム、「どうぞ裸になってください」に収録したストーリー・テリング・ソング。1923年9月1日に起こった関東大震災、そしてその5日後に起きた、千葉福田村、現 野田市の人々が遠くは四国、香川県からやってきた行商人を外国人だと勘違いして9人を惨殺した事件とその顛末を描いた歌。 それから今年で100年になるが、日本はよくなったのだろうか。

当時は朝鮮人が大震災のどさくさに紛れて反乱を起こしたり井戸に毒を流したなどのデマ、流言飛語をを政府が流したため、行商人らが使っていた讃岐弁という方言を聞いて、彼らを朝鮮人だと思い、警察が一時その場を離れたすきに虐殺に至ってしまったこと、地元の殺人者たちは悪意がなかったと判断して重罪を免れる反面、殺害された人々に対しては何の謝罪もなかった当時の状況は今とどこが変わったというのだろうか。この曲の最後のメッセージはぜひ日本の皆さんによく考えて欲しい。

2023年6月24日、以前発売されて絶版となった書籍「福田村事件」(辻野弥生 著) が新たに発売された。 当日朝のニュースでは野田市が犠牲者への弔慰を初めて表明したこというニュースが流れた。 この書籍の発売に合わせたタイミングだったのかも知れない。

ドキュメンタリー映画監督、森達也もこの曲でこの事件を知り、彼のキャリアでは初の劇映画を制作、映画 「福田村事件」は2023年9月1日公開される。

20分を超える長編の曲だが、一度聞いてみる値打ちはある。

福田村事件 辻野弥生 著映画 福田村事件 森達也 監督


1923年福田村の虐殺




作詞:中川五郎

1923年、大正12年9月6日のできごと
それはちょうど5日後のこと、関東大震災の日から
千葉県東葛飾郡福田村、今の野田市三ツ堀のあたり
行商人の一団がその村にやってきた

売り物の薬や日用品を大八車に積んで
やって来た行商人の一団、その数は全部で15人
朝早く宿を出て歩き続けて福田村に着いたのは10時頃
利根川の渡し場近くの神社のあたりでまずは一休み

神社のそばの雑貨屋の前には二組の夫婦と
若者二人と子供らが三人、九人が休み
神社の鳥居の脇には一組の夫婦と子供らが四人
夫は足が不自由だった、まだひとつの乳飲み子もいた

渡し場から船に乗ろうと行商人が値段の交渉に
突然船頭が叫び出して あたりの空気は一変
「こいつら日本語が変だぞ」船頭が大声あげる
半鐘が激しく鳴らされて村のみんなが駆けつける

駐在所の巡査が先頭に立ち、村の自警団員が続く
手には竹槍や鳶口、日本刀や猟銃も
その数は全部で数十人、あるいは百人以上とも
自警団員たちが行商人に迫る「お前ら日本人か」

「わしらは日本人じゃ」答える行商人に
「やっぱりこいつら言葉が変だぞ」
「いったいどこから来たんだ」
「四国から来たんじゃ」
千葉の人間にしてみれば聞き慣れぬ讃岐弁
「お前ら日本人なら『君が代』歌ってみろ」

命じられるままに行商人たち「君が代」を歌えば
半信半疑の自警団員たち、
こんどはお経を唱えろと言ったり
「いろは」を言えと言ったり、どんどんエスカレート
目の前の見慣れぬ者が敵に思えて来た

本署の指示を仰ごうと巡査がその場を離れたとたんに
不安に駆られた自警団員たち、行商人たちに襲いかかる
赤ん坊抱いて命乞いする母親を竹槍で突き刺し、
逃げる男たちを後ろから鳶口で頭をかち割った

川を泳いで逃げようとした者たちは小舟で追われて
日本刀でめった切りにされて銃声も響く
雑貨屋の前にいた九人が全員殺された
鳥居の脇の六人は恐怖におののき震えるだけ

残った六人も捕まえられて川べりに連行される
縄や針金で後ろ手に縛られ、まるで罪人扱い
乳飲み子を抱えたまま縛られた母親を男が後から蹴りあげ
醜い顔で大声あげる「川に投げ込んでしまえ!」

興奮して頭に血が上った自警団員の男たち
残った六人全員を後ろ手に縛ったまま
川に投げ込もうとしたちょうどその時
馬に乗った警官が駆けつけて
凄惨極めた惨殺はそこで止められた

九月初めの昼の盛り、利根川の河原には
虐殺された九人の死体が転がる
幼い子供もいれば身重の若い母親も
無残な死体に残暑の日差しが照りつける


襲いかかった自警団員、福田村と隣の田中村の男たち
数十人の中で逮捕されたのはたったの八人だけ
殺人罪で起訴されて懲役刑を受けたが
昭和天皇即位の恩赦ですぐに全員が釈放された

殺人者を告発する検察官は
「彼らに悪意はなかった」と語り
弁護費用は村費でまかなわれ
家族には見舞金も支給された
殺人者たちの家族には村をあげての支援
惨殺された行商人たちには謝罪の言葉はないまま

出所した主犯格の一人、出所後は村長になり
やがては市会議員に選ばれて地元のために尽くす
おまえは夜眠れたのか、悪夢にうなされなかったのか
おまえたちがしたことは謝ってすむことじゃない

関東大震災の直後に朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだと
いたるところでデマが流され、たくさんの朝鮮人が殺された
誰も彼もが疑心暗鬼、言葉が少しおかしいというだけで
幼い子供や母親を竹槍で突き殺した

自警団員もただの人、家に帰れば優しい父親
我が子の遊ぶ姿に相好を崩し、隣近所と親しく付き合う
そんなどこにでもいる善人たちが徒党を組んで
不安に煽られたとたんに鬼になってしまう

福田村で襲われたのは四国香川の行商人たち
僅かな薬や日用品を売ってその日その日を暮らす
地元香川のふるさとの村を後にして
どうして旅を続けなければならなかったのか
千キロ近く離れた千葉の果てまで

三豊郡のふるさとの村では彼らに仕事はなく
稲を育てる田んぼもなく、小作料は高すぎる
地区の人たちのほとんどが行商をして暮らす
旅のつらさ覚悟すればからだひとつで始められる仕事

虐殺現場の福田村から謝罪の言葉は届かず
地元香川の中からも抗議や糾弾の声は起こらず
なかったことにしようと言わんばかりに
県のお偉方は知らんぷり
虐殺された行商人たちのふるさと、香川の被差別部落

2003年9月6日、80年の歳月が流れて
虐殺現場の三ツ堀で慰霊碑の除幕式
あの日と同じように残暑の日差しが照りつける
渡し場は今はゴルフの練習場、霊はここで80年さまよっていたのか


見知らぬ人には親切に、苦境の人には助けの手を
それがよその土地の人であれ、よその国の人であれ
たとえ自分たちと違っていても、言葉が違っていても
信じることから始めよう、それが人の心というもの

昔も今も日本人はよそ者を嫌い、
身内だけで固まる狭い心の持ち主なのか
デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠
信じることから始めよう、人はみんな同じ

朝鮮人だとか部落だとか、小さな日本人よ
朝鮮人だとか部落だとか、小さな人間よ

作家 佐藤章 による書籍紹介


映画「福田村事件」のティーザー



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