さだまさしが1998年9月に発表したアルバム「心の時代」に収録されている曲。 タイトルの 「神の恵み」は英語の副題にある providence の訳語である。 だが、ここではその名前を持つ軍艦の名前を表している。軍艦プロビデンスとは1962年5月に横須賀に入港してしばらくそこを拠点に活動したアメリカの軍艦で、敗戦国 日本に平和をもたらすために米軍を乗せてきたという位置づけだ。
当時さだまさしは長崎なのか横須賀なのかはよくわからないが、この軍艦が停泊していた港を訪ねた。彼は一緒に行った友人が「ギブ・ミー・チョコレート」と言って手を差し出して米兵からチョコレートをもらう様子を見て、自身はできなかったという。
なぜかといえば、日本に原爆を落として大勢の人を殺害、負傷させた悪魔のようなアメリカが、神の恵みと称してチョコレートに象徴されるような施しをして平和の使者のように振る舞っていることに納得が行かなかったからだという。その頃のことを振り返って書かれた曲だと思われる。
歌詞の内容は、アメリカが日本にとって敵なのか、味方なのかを考えさせてくれるし、子供たちに憲法9条に謳われる戦争の放棄についてしっかりと引き継いで行くべきだと主張している。
「二度と戦わない」は兵隊を戦場に送って戦わせないという意味だし、「魂を売り渡さない」は、大国の意のままに動くような日本にはならないという決意が込められていると思うが、この実現こそ、戦争とは別の意味で戦いであろう。 日本の現在の政権中枢にいる人達は大国に魂を売り渡しているのかいないのか、国民は冷静に判断する必要がある。
さだまさしはこの曲を2021年にセルフ・カバー アルバム「新自分風土記I〜望郷篇〜」にも新たに収録した。憲法改正議論が活発になっている昨今、改めてじっくり聞いて考えてみたい曲である。
カバー動画(本人歌唱は動画下のスポッティファイリンクで聞けます)
神の恵み〜A Day Of Providence |
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作詞:さだまさし ひとつ忘れてはいけないことは 僕たちは戦争に負けた国に生まれたってこと どういう意味かは人によって少しずつ違うけれど この事実だけは 誰にも違わないってこと 魚雷艇に乗っていたハンサムな兵士が 戦勝国のリーダーになった頃のこと 「神の恵み」という名の戦艦が僕の町に来て 白い服を着た大きな人たちが町に溢れた A Day of Providence 子供達は船に群がり 親切な兵士達に"give me"と 小声で悲しく歌ってた A Day of Providence ポケットはチョコレートで膨らみ ひきかえに こころは しぼんでいったよ 青い空だった あの爆弾をこの町に落とした人が 今度は僕たちの国を護っていると聞かされて 僕には どういう意味だか呑み込めなかったんだ そう、もう少し大人になる迄は 何故そうなったのかは判らないんだけれど 僕が大人になるにつれてこの国はひどくなった 「わがまま」と「自由」との境目がどんどんぼやけてゆき 「おとな」が「こども」になり 「子供」が「大人」になった 国を語れば"left"からブーイング 平和を歌えば"right"からクレーム こんな風に僕の言葉は怪しげに変わって行く 美しい言葉は この国の誇りだったのに A Day of Providence 自由になったはずだった 親切な白い人が"trust me"と 小声で優しく歌ってた A Day of Providence 大人達は誇りを失い ひきかえにチョコレートを神棚に 飾った これからの子供達に伝えてゆこう 僕たちの間違いを繰り返さぬように 二度と戦わないという強い意志と共に 二度と魂を売り渡さない勇気を これからの子供達に伝えてゆこう これからの大人達に伝えてゆこう 間違いをただすために未来はあるのだと 未来こそが「神の恵み」そのものだということを A Day of Providence この美しい季節の中で 本当の僕たちの笑顔を 作り直せばいい A Day of Providence この美しい星に生まれて いつの日か永遠の平和を 君が手にするために いつの日か永遠の笑顔を 君が抱きしめるために |
さだまさし 緊急事態宣言の夜 キーウから遠く離れて 遥かなるクリスマス |