
1970年に北山修と杉田二郎によって作られ、大阪万博のコンサートで11月に全日本アマチュア・フォーク・シンガーズにより初披露された。その翌年2月に杉田二郎のバンド、ジローズによってシングルが発売され大ヒット。その年の歌謡賞の新人賞を受賞し、ゴジラ映画の挿入歌になったり、管理人の記憶では当時かその後のテレビドラマの中で何度も歌われていた。
同タイトルの映画まで製作されている。多数の歌手によってカバーもされたようだ。それほど日本の若者が愛した曲である。
ベトナム戦争が激化していた当時、日本の若者が「戦争協力への圧力」に対して静かに異議を唱えたプロテストソングである。当時の日本は、学生運動が鎮静化しつつも、ベトナム戦争への後方支援や日米安保体制の強化が進み、若者には「国の方針に従うべきだ」という空気もあった。
歌詞は1945年の終戦後に生まれた若者たち(1945年生まれで25歳)は戦争を経験していないから戦争は嫌だ、若者に対して軍国主義的な統制は止めてくれと訴える内容になっている。
これは当時の若者が発するメッセージとしては画期的だっただろう。
ところが、かつて「戦争を知らない」ことを理由に反戦を訴えた世代が、いまや「戦争を知らない大人たち」となり社会の中枢を担う立場になっている。そして戦争の記憶が薄れた日本社会が、あの世代の政治家に導かれ、再び軍事的な選択肢を口にし始めていることは、歴史の皮肉と言えるだろう。
次の動画は1970年、万博での全日本アマチュア・フォーク・シンガーズが会場の聴衆と一緒に歌った音源である。冒頭の、「百年後に全世界で戦争を知らない子供たちばかりになることを願って」というような言葉がとても心に響く。
戦争を知らない子供たち |
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| 作詞: 北山 修 作曲: 杉田二郎 戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った おとなになって 歩きはじめる 平和の歌を くちずさみながら 僕らの名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 若すぎるからと 許されないなら 髪の毛が長いと 許されないなら 今の私に 残っているのは 涙をこらえて 歌うことだけさ 僕らの名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 青空が好きで 花びらが好きで いつでも笑顔の すてきな人なら 誰でも一緒に 歩いてゆこうよ きれいな夕陽が かがやく小道を 僕らの名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 戦争を知らない 子供たちさ |
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