プロテストソング・トピカルソングの傑作集WE SHALL OVERCOME
一本の鉛筆

美空ひばり

美空ひばりは1974年8月9日に広島で開催された、復興と平和をテーマにした広島平和音楽祭で歌うためにこの歌を用意した。

当時人気ナンバーワンだった女性歌手、美空ひばりは横浜生まれだが、彼女の8歳の誕生日だった1945年5月29日に米軍による横浜大空襲で周囲が火の海になり、そこから命からがら逃げた経験がある。

作詞者の松山善三は映画の脚本家で、この音楽祭の総合演出を任されていた。作曲者の佐藤勝は黒澤明監督の映画音楽も手掛けた音楽家である。

同年10月1日にシングルとして発売。B面曲は 「八月五日の夜だった」という、これまた原爆被害の悲劇についての曲だった。この歌の歌詞の中に 8月6日の朝 とあるので、何かそこでつながりがありそうである。

14年後の1988年、そのときは美空ひばりの病気が著しく深刻な状態だったが、楽屋にベッドを運び込んで点滴を受けながら出番を待って、ステージに立ってこの歌を完全に歌い切ったそうだ。その翌年に美空ひばりは亡くなった。
記事ソース:TAP the POP 「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」と美空ひばりが歌った反戦と平和の歌

一本の鉛筆

作詞: 松山善三
作曲: 
佐藤 勝
歌唱: 美空ひばり

あなたに聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい

一本の鉛筆があれば
私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと私は書く

あなたに愛をおくりたい
あなたに夢をおくりたい
あなたに春をおくりたい
あなたに世界をおくりたい

一枚のザラ紙があれば
私は子どもが欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたを返してと 私は書く

一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと 私は書く
 
オリジナル・音源

西尾薫 (ソプラノ歌手、MVが素晴らしい)

歌心りえ

KUMIKO カバー

浜田真理子 カバー

華原朋美 カバー

藤井フミヤ カバー(ひばりの映像の後)

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